ワーキングメモリはいかにして意識的なふるまいを生じさせるのか?8
問題解決には2つの相がある。
ひとつは自分が観察している対象が何であるかを正しく判断する「理解」の相、もうひとつは問題を打開するための解法を考えて行動する「回答」の相だ。
つまり、何かを解決するためには、われわれは「分類問題」と「生成問題」の2つのタスクに取り組む必要がある。
もちろん、分類と生成のいずれかだけで解決できる問題もある。
たとえば分類すること自体が問題の解決であればそれ以上に答えを出す必要はないし、事態が分類を要さないほど自明であればあとはアクションするだけ、という場合もあるだろう。
ただ、大概の問題は事態がどうなっているかを理解した上で解決を考えるて行動を決定するという手順を必要とする。
ここまでの話は専ら「分類」に関するものだった。
これ以降、「生成」に関して考えていきたい。
これまでに、ワーキングメモリ(ある領域への情報の収束)は現実と虚構を区別するための前提条件になっている、ということを見てきた。
次は、現実と虚構を区別できると何がうれしいのか、要するに、それができるとどんないいことが起きるのか、ということについて考える。
何の意味もないことをするほどわれわれは暇ではないはずなので、そこには何かメリットがあるはずだ。
先に答えを言ってしまうと、これができるようになると比喩表現(メタファー)が使えるようになる。
メタファーというのはたとえば皮肉(イロニー)や笑い(ユーモア)のことで、要するに、この機能(現実と虚構の弁別能)があれば冗談を言えるようになる、ということだ。
本気か冗談かというのはコンテクストで使い分けているもの(あるモード)だが、本気モードで話しているか冗談で話しているのかの判断はその話が現実に属するか虚構のものかというプレ判断(何モードかの察知)が基準になっている。
「分類」フェイズにおけるワーキングメモリはその事前判断の余地を提供してくれる。
ここまでで現実/虚構の判断員ついては見てきたが、「冗談を言う」という部分、もっと拡大的に言うとメタファーを使うという面については触れてこなかった。
以降、ワーキングメモリがどのようにして比喩表現を可能にしているのかという点について見ていきたい。