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ワーキングメモリはいかにして意識的なふるまいを生じさせるのか?6

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 あるものが表面的に見せる姿だけからそれが何であるかを言い当てることは難しい。  厳密に言えば、難しい、と言うよりも、できなくはないけれど、それをやると高確率で事実を見誤ることになる。  見た目Aに見えるものがAではないことは日常的だ。  だからこそ見た目から即断することを回避する判断を留保する機構が必要になる。  もし意識が生まれたことに合理的な理由があるなら、それがひとつの理由になるだろう。

 事実を正しく言い当てる確率を上げるために、観察者は「見た目」だけではなく「匂い」や「音」、あるいは時刻や場所などの「状況」を加味して事物を判断する必要がある。  あるものを見た目で判断した場合Aだったとしても、それについての他のすべての要素が(たとえばそれが発する匂いや音や置かれている状況が)Bであることを告げていたとすれば、それは多分Bだろう。  たとえばタツノオトシゴは見た目は完全に馬かドラゴンだけれど、それを馬やドラゴンに分類するのは間違っている。  この観点から言うと、ワーキングメモリがないモデルがしていることは、見た目から即座に結論を出そうとしているのと同じことになる。  ワーキングメモリをもたないということは、物事を複数の要素から判断しない(複数の情報を総合するエリアがない)ことなので、その判断はどこまでも「ある側面から見て」という性質をもつことになる。  前回の実験結果はそれを如実に物語るものになっている。