ワーキングメモリはいかにして意識的なふるまいを生じさせるのか?
少し長くなりそうな気がする。
何回かに分けて書きたいと思う。
はじめに
とりあえず、「ワーキングメモリは意識を生じさせる」という前提で話を始めているけれど、その前提は本当に正しいのかとか、そもそも「ワーキングメモリ」というのは何なのかとか、いろいろ疑問に思われることはあると思う。
まずはそうした諸々の疑問を愚直に潰していこうと思う。
ワーキングメモリ?
ワーキングメモリというのは、情報を一時的にプールしておくバッファ領域のことだ。
好きなことを自由に書き込むことができるノートをイメージしてもらうとよい。
ただし、好きなだけ書き込めるわけではなく、一定の容量がある。
それに、一定の時間が経つと書いた内容は自然に消えてしまう。
あくまで、何かをするのに必要な内容を一時的に保存しておくためのメモ帳だ。
そういう情報の一時的な保存領域が、ヒトの脳のなかにある。
電話番号程度の桁数の数字なら一時的に覚えていられるのは、これがあるおかげだ。
それが意識と何の関係があるというのだ?
ワーキングメモリは意識を生じさせるとする説がある。
実は結構古くからあって、突然降って湧いてきた説ではない。
ただ、一見するとかなり飛躍的に思える説ではある。
ワーキングメモリは情報を一時的に書いておくことができるメモ帳のようなものだとして、それと意識との関係がよくわからない、というか、そのままだとそのふたつのものの関連がまったく見えてこないからだ。
メモ帳から意識が生まれる?
それならいま机に転がっているメモ帳も意識をもっているのか?
それともまだ他に何かの条件が必要で、そうした条件が整えばこのノートも意識をもつようになったりするのだろうか?
そんなことはありえない。
ノートはノートだ。
あたりまえだけれど。
それではワーキングメモリが意識を生むというのはいったいどういうことなのか?
今回の話はその謎の関係の説明になる。
とりあえず、今日のところはここまで。